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バリアフリー活動と市民のまちづくり

Profile
佐々木 孝(ささき たかし)
NPO法人秋田バリアフリーネットワーク理事長。
本荘市出身。建築家。東北大学、ハーバード大学で建築を学ぶ。
昭和36年以降、日本、米国、カナダの各都市で建築・都市の設計に従事したのち、平成4年より国立秋田高専教授として教鞭をとる。平成9年退官ののち、現在設計事務所を自営しながら、秋田のまちづくりの市民活動を実践している。

▼きっかけ

私が秋田にAターンしたのは平成4年春、大学を卒業して秋田を離れて以来35年ぶりのことであった。直接のきっかけは、秋田高専からの招きで、当時の土木工学科に建築を導入するにあたっての学科編成が主なミッションであった。これまで日本はじめ、米国やカナダの各地において仕事に対応しながら幾度も居所を変えてきたが、これがまあ落ち着きどころかと観念したことを覚えている。

新しい処に居所を構えるときに第一にやることは、その土地でできるだけ多くの知己を得ることである。おそらくこのとき各地を駆けめぐり、6ヶ月間で約300人以上の人に会っている。現在の貴重な人脈につながるきっかとなったのは、「秋田テクノポリス開発機構」の活動に関係している人々であった。テクノポリス開発は、当時国の政策で産学官協働によるハイテク産業の振興を目指した新産都市構想である。現在は解散して実質的な機能を企業活性化センターに移し商工業振興支援の新しい形となっている。開発機構は、県、市、雄和町、及び民間からなるミッションチームを構成して様々な事業を行っていた。振興事業の柱は4本で、エレクトロニクス、新材料、バイオテクノロジー、デザインの開発であった。このなかでバリアフリー活動のきっかけとなったのは次の二つのユニークな事業である。一つは、柔らかな異業種間交流としての「ナイトセッション」、一つは「デザイン部会」の活動である。ナイトセッションは、月に一度の例会で県内の様々な分野の有志が集い、ジョッキーを傾けながら意見発表や意見交換を行っていた。秋田県人の風土にあったのか大変好評で、毎回50名ほどの人があつまり、板東さんが副知事として赴任されメインゲストとしてお招きしたときは200名を超える盛況であった。何度か回を重ねるうち、議論ばかりではなく何か実践しようではないかという声が誰からともなく起こってきた。秋田の閉塞的状況に対するフラストレーションを誰しも抱いていたのかもしれない。

次にデザイン部会の活動である。全国20を超えるテクノ地域のなかで、デザインを産業振興の新しい軸として据えた地域は数少なく、特に地方としての東北にあってはユニークな部会であった。部会はものづくり関係者が多かったが、デザインを通してまちへ働きかけること、仕事と社会と関わり合いを持つことの必要性が主張され、これらが私たちの活動の発端となった。まちづくりといっても、そこには活動を支える原理、コンセプトがなければならない、としてあげられたのが「バリアフリー」であった。バリアフリーは突然出てきた訳ではない。秋田の産業やまちづくりを考えるにあたって様々な角度から議論される中で秋田の現状認識として、さまざまな課題があげられたが、少子高齢化に対する危機感の出始めていた頃でもあり、バリアフリー社会の実現は参加者の共感を得たのであろう。ちなみにバリアフリー活動は、60年代のアメリカにおけるベトナム戦争の戦傷帰還兵に対する生活環境改善運動から始まったが、折しも私がニューヨークにあって建築にたずさわっていたときのことである。当時まだバリアフリーの意識は全くなかったと言っていい秋田においても高齢化の進行が危機感をもって意識され始めていたころであるとしても、アメリカにおけるこの体験が下敷きなっているのかもしれない。


▼バリアフリー活動の実際

会員は、デザイン関連、教職、事業者のほか身障者など多彩な人材が集った。これらの人々を中心として秋田バリアフリー研究会を始めたのが平成8年の春である。この活動は、平成10年NPO法が施行されたのをきっけに、NPO法人秋田バリアフリーネットワークとして引き継がれている。

目標は、「いつでも、誰でも、どこでも、暮らしを楽しめるまちづくり」であり、生活環境のバリアフリー化を実現して住みやすいまちをつくろうとするものである。

活動の柱は、「識る=実態調査」、「為る=研究・開発」、「知らせる=普及・啓発」の3本立てある。実態調査は、バリアフリー活動の基本で、都市や生活環境の実態調査を通して取り組むべき課題を摘出する。秋田駅や中心市街地の内外部の空間、公共的施設を皮切りに、不特定多数の集まる市内の主要な空間、公共的施設については殆どカバーしてきた。あくまでも自主的活動であるが、最近では公共団体などからの委託により、県内の各地、諸施設で調査を行っている。調査結果は、検討を加え改善提案とともに依頼者又は調査対象者へ報告を行っている。これまで、秋田駅、駅前中心市街地、大町〜通町、県庁舎、市役所、八橋競技場や、県外では、横手の幹線道路、湯沢警察署などがある。

 研究・開発では、市内バスルートの統一マップ(市営、中央交通)、中心市街地便利マップを作成し、駅交番や市内の案内所で無料で配布した。雨雪を防ぐ簡便なバス停留所は、雄和町(現在秋田市)の地域循環バス「ユーグル」の停留所、西仙北町のジャスコに採用されているほか、建設省の県内河川の水門管理棟として応用されている。また、秋田駅のポポロード及び公共通路のサインは、調査結果にもとづいて実施したバリアフリーネットワークの設計・施工によるものである。

普及・啓発活動としては、毎年度末に、「人にやさしいまちづくりinあきた」のイベントを開催し、1年間の活動成果を市民に公開すると同時に、市民フォラムを開催してアッピールしている。この催しも今年で10回目を迎えた。その年のキイワードに沿ったアドホックな招待者による講演やデイスカッションで毎年好評を得ている。ちなみに今年の招待者は元横綱大鵬とあって、アルベの会場は満員の盛況であった。
 また、長年にわたって好評だったのは、「バリアフリーデザイン海外研修」である。

これまでに、福祉先進国スエーデンを皮切りに、デンマーク、フィンランド、オランダ、ドイツ、米国などを訪問している。米国では、ボストンに在るユニバーサルデザインの元祖アダプティブ・エンヴァイロンメント・センターを訪れた。ヨーロッパの旅はローマをもって一応編を閉じる予定であったが、まだ実現していない。当時の熱心なメンバーたちからは、是非ローマを実現して初志貫徹してほしいとの要望が出ている。



▼活動の将来

活動は、大きく前期と後期に分かれる。前期はテクノポリス開発機構と密接な関係を保った活動であり、海外研修等について様々な意味での支援があった。後期は開発機構が解散し、NPOとして自活の道を歩み始めた時代である。市民本来の自主活動の始まりであったが、前期の助走時代が大いに力になっている。

折しもこの時期、バリアフリー法の施行に次いで、秋田県においても条例を定めることになった。条例策定に際して、県の「チーム21-バリアフリー促進チーム」から協働を要請されたことが活動の好機となった。チームと一体となった条例づくりへの参画は今活発化している官民協働体制のさきがけといってよい。これをきっかけに条例の策定、施行に続いて、普及、実現へ向けての実践活動が続くことになる。県の事業として現在進めている試みは、バリアフリー化を実現する人材の育成とその組織化であり、住宅のバリアフリー化促進のための協力システムの確立である。

ネットワークが今取り組んでいる仕事は、自助具の製作とサービスの提供である。自助具とは、体の不自由な人ができるだけ自力で日常生活を送れるように工夫された生活用具の一種であるが、片手で爪を切る、体を洗う、シャンプーを使うなど様々な工夫がなされている。当事者一人一人のニーズに対応してサービスするボランティア技術者の養成とサービスの展開が目標である。




▼市民活動のすすめ

NPO法が施行されたことからも分かるように、これまでの行政、企業と並んで今、社会の推進力として市民の位置づけは認知されつつある。2輪車体制から3輪車体制への転換である。そもそもまちの主役は市民であって、行政でも企業でもない。市民は一人一人が自分の人生を送るにふさわしい舞台としてのまちを望んでおり、人任せにはできないのである。したがって、好むと好まざるとにかかわらずまちと関わり合いをもたざるを得ない。これが市民活動である。

まちづくりにおける市民の役割は大きい。しかもその行動は、行政や企業による代替の効かない特性を持っている。規約に束縛されない自主性、必要に応じてすぐ対応できる速効性、身近なニーズに応える即地性は、行政や企業の機能では決して代替できない市民活動の強みである。

しかしながら、市民活動は決して楽ではない。秋田県では現在200を超えるNPO法人があるというが、実際的な活動を継続している団体は1割に満たないとも聞く。継続は力なりというが、10年間市民活動を続けて、この難しさを身にしみて感じている昨今である。現在官民協働のシステムも少しづつ軌道に乗りつつあるようだが、留意しなければならないのは、市民活動の原点は「活動ありき」であって、補助や助成などの「金ありき」ではないことである。自力で活動を継続できる「動機」と「機動力」が必須とされるゆえんである。